には及びませぬ」

 

その満面に柔和な微笑を広げた。

 

「確かに、お鍋の方様がお聞きになられた通り、上様を嘲るような言葉を口に致しましたが、それは全くの誤解にございます」

 

誤解?」

 

「あれは不心得な下男らの言葉にございます。役目を疎かにし、もない上様の噂話を致しておりました故、

 

以前に叱り付けたことがあったのです。あの盂蘭盆会の催しの日、天主閣を見上げておりましたら、

 

ふいに下男たちが言うていた言葉を思い出し、おうむ返しのく口にしてしまったのでございます」

 

「まことでございますか?」

 

「はい。……じゃと言うて、上様のご信任を預かるが、主君をする言葉を述べるのは、

 

臣下としてあるまじき行い。どうぞ、このこと、姫様より上様に申し上げ、某を厳しく罰するようにお伝え下さいませ」

 

光秀が畳に両の手をついて言うと、濃姫は慌てた様子でかぶりを振った。

「そんな──その必要はございませぬ」

 

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「既にお鍋殿には、この件は上様には申さぬようにと、しく口止めしてあるのです。

 

元より誤解であったのならば、もはや上様にお伝えする必要すらもございませぬ」

 

濃姫はって告げると

 

「であれば、光秀様の上様へのご忠誠は、尚も変わらずと──そう思うていて良いのですね?」

 

改めて相手の本心を確認した。

 

光秀は晴れやかな笑顔を作りつつ

 

「勿論でございます。は織田家に忠節を誓こうておりますれば、それを破ることなど、間違ってもございませぬ」

 

と、濃姫の不安を退けるように言った。

 

「それを聞いて致しました。やはり光秀様は光秀様。帰蝶が知っている、昔の実直な様のままじゃ」

 

「そう申す姫様は、随分としゅうおなりになられましたな」

 

「あの上様の妻となったのですもの。逞しゅうなければ、織田信長の正室は務まりませぬ」

 

「御意にございますか」

 

「骨を折ることも多ございますが、光秀様は表で、私は奥で、これからも共に上様を支えて参りましょう。──約束ですよ」

 

「ええ。約束です」

 

そう言うと、のように無邪気な笑みを浮かべながら、二人は深く頷き合った。

 

直におきして正解であった。誤解であると気付かぬまま、光秀様への警戒心をらせるところであった

 

 

大切な従兄の疑念が解けて、濃姫は心の底から安堵していた。

 

だからであろう。

 

警戒心の薄れた濃姫は、光秀が身にの背が、

 

ぐっしょりと汗で濡れていたことに、まるで気付いていなかったのである──

 

 

 

 

 

 

それから幾日か過ぎた、七月の半ばのこと。

 

信長は、広々とした座敷の中で、何ともきらびやかな衣装の数々に、惜しげもなく袖を通していた。

 

座敷のあちらこちらに置かれた塗りの盆の上には、豪奢な帯やが載せられており、

 

次の、絹などの衣装が幾つもかけられていた。

 

 

「上様、こちらは如何にございましょう?」

 

「京より特別に取り寄せたにございます」

 

周囲に控える近習たちが、畳まれた衣装を次々に広げては、信長へ披露してゆく。

 

「悪うはないが、普通過ぎて面白みがない」

 

「ではこちらは? 緋地に金のが映えて、実にお見事な物でございます」

 

「ならぬ。炎天下での催しに、緋色の衣装など暑苦しいばかりじゃ」

 

「ならば、これは如何でしょう?」

 

「駄目じゃ、駄目じゃ。京での馬揃えの衣と、意匠がかぶっておるではないか。 ──早よう次のを持て!」

 

「は、はい

 

信長がやれやれと首を横に振っていると

 

「ご無礼つかまつりまする。蘭丸にございます」

 

座敷の前の入側に、あのしい顔が現れた。