「構わない。それが三津だ。私も九一に気付かされたな。手に入れた途端に多くを求め過ぎていた。」
お互い目を見て笑い合いそのまま静かに見つめ合えば自然と顔の距離が近付く。桂は顔の角度を変えれば三津はそっと目を閉じた。
鼻先が触れ合い吐息が混じり合う。
「そうだ夕餉は玄瑞も一緒に食べていいですよね?」
すぱんっ!と障子を開いて吉田が小首を傾げてみせた。
「……いいだろう。
だがその前に……稔麿!九一!庭へ出ろ!真剣だ!真剣を持て!」
桂の怒りは最高潮に達した。
『今日は一日あっという間やったなぁ。』
みんなが寝静まった真夜中の縁側に三津は腰をかけて空を眺めていた。
「どうしたの?寝付けない?」
「吉田さん。まだ起きてたんですか?」
目を丸くして見上げていれば吉田はうっすら笑みを浮かべて三津の左側に腰かけた。
「書物をしてたら眠気がどこかへ行ってしまってね。三津は……もしかしてあの日を思い出して眠れなくなった?」
以前三津が藩邸に連れて来られて河原へ連れ出されたのもこの位の刻。
またじわじわ恐怖に蝕まれてやしないかと心配になる。
「あぁ……ありましたね。そんな事。植髮 あの時はありがとうございました。」
三津は忘れてたぐらいだから大丈夫と笑った。
「あの時も吉田さんは眠れなくなってたん?」
本当に吉田が気付いてくれたのが奇跡だと思う。だからこうして生かされている。
「あの時は……三津の所へ夜這いしに行ったんだけどね。」
「は!?」
「静かにして。みんな起こす気?」
吉田は右の手のひらで三津の口を塞いだ。
「今も襦袢に羽織だけって襲ってくださいって言ってるようなもんだけど?」
そんなつもりは毛頭ないと首を横に振り激しく否定した。まさか誰か起きてるなんて思ってなかった。
「安心しなよ。俺は三津が抱いてって縋りついて来るまで手は出さないつもりだから。」
「絶対そんな事言いませんから。そんなん言うのどこの遊女ですか。」
吉田は予想通りの反応ありがとうと喉を鳴らして笑う。
「三津にはそれぐらい積極的になって欲しいってだけ。本当に言ってもらえるなんて思ってない。
だからと言って無理強いはしたくない。でも隙あらばモノにしたい……って俺の中での葛藤。」
切々と語られるも自分が吉田の気持ちに応えるなどきっと無い。だからこうして向けられる好意をどうしたらいいのか三津には分からない。
そんな困りきった三津の顔を見て吉田はやんわりと微笑む。
「そんな顔するなよ。俺は自分の気持ちに正直にいると決めてそれを実行してるだけだ。お前に答えを求めたりはしてないよ。」
三津の頬に触れ,笑えとつねり上げた。
『こうして話して触れていつの間にか三津の心に棲みつけたらそれでいい。
今は……ね。』「……つまらんわ。」
綺麗に化粧を施した顔を鏡に映してその中の自分とにらめっこ。
「最近桂はん全く呼んでくれへんからなぁ。」
「お母さん笑い事とちゃいます。」
側で帯や簪やと幾松の支度を手伝う女将がからから笑うのを一蹴した。
「お忙しんやろ。気にしなさんな。」
『そうや。とってもお忙しいんや。お三津ちゃんの相手にね。』
最後に桂に会ったのはいつだっただろうか。最近は全く座敷に呼ばれない。
「会いにも来てくれへんなんて薄情な人やわ……。」
そんな事をぼやきながら今夜の座敷に向かう。
『そりゃうちかてお三津ちゃんの事は好きや。その辺の女子と違って素直で付き合いやすい。腹の探り合いなんてせんでえぇし。
変な気も使わんでえぇし。』
何なら貶したって馬鹿にしたって彼女は笑って受け入れる。ある意味器がデカイというのか。ただ鈍感なだけなのか。
『そこが憎まれへんのやけど。』
「お待たせいたしました。」
呼ばれた座敷の襖を開き頭を垂れてから顔を上げれば,
『嘘……。』
上座に座る会いたかったその姿。
「桂さんも来るっちゅうから呼んだんじゃ。」
「お気遣いありがとうございます宮部さん。」
どうやら指名してくれたのは桂ではないらしいがそれはどうでもいい。
久方ぶりの愛しい顔に忘れていた甘い鼓動が鳴り響く。
「……お久しぶりですねぇ。お三津ちゃんはお家でお留守番ですか?」
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