入口とは反対側が、厩との出入り口になっていて、いつでもいききできるようになっている。

 

 あいかわらず「できすぎる男」俊冬は、おれたちが厩にやってきてからすぐ、どこからか鉄瓶や湯呑みを調達してきた。

 

 いま、その七輪の上で鉄瓶が「シューッ」とちいさな音をたてている。

 

 俊春が鉄瓶から白湯をそそぎ、控え部屋の上座で胡坐をかいている会津侯のまえにその湯呑みをおいた。つづいてその会津侯の右斜めまえに正座している副長のまえにも、それをおく。

 

 おれたちは、テキトーに左右にわかれて正座する。

 

 俊春は、安全期 盆を土間にあるちいさな棚の上においてからおれの横に正座した。

 

「会津侯、かような時期にいかがなさいました?お呼びつけいただければ、すぐにでもまいりましたものを……

「土方、みなまで申すな。かようなことは、わたし自身が一番よく心得ておる。しかし、隠れ

 斎藤のでは、もはや自由がない。呼びつけるどころか、屁を一つこくこともかなわぬ。もう間もなく、にうつるであろう。が、それも今日あすのことではないのでな」

 

 会津侯の苦笑まじりのジョークに、副長はやさしい笑みを浮かべて応じる。

 

 白河城を落とされてから、会津侯や側近たちは秘密の隠れ家にうつっているらしい。

 味方にすら伝えていない場所で、一時的な滞在先である。

 

 おそらく、若松城に逃げ込んでいる将兵をある程度減るまでまっているのだろう。

 寝泊まりする場所もないのである。くわえて、いろんな連中が入りこんでいる。そこに会津侯があらわれたら、不届きなかんがえを抱く馬鹿もいるかもしれない。あるいは、から不届きなことをするつもりでいる馬鹿がいるかも。

 

 それは兎も角、会津侯が語った『自由がない』というのは、敵に追いつめられ、八方ふさがりの状況だからというだけではない。

 

 敵の間者や刺客がまぎれこむだけではなく、味方がを狙ったり、情報を得ようとするかもしれない。

 

 会津侯の自由というよりかは、会津侯自身の存在があらゆる意味で問題なのである。

 

 いまこのタイミングで、会津侯みずからが公式に新撰組の副長を、じゃなかった局長を呼びつけるのは不自然だし、非公式にしたって周囲の目をごまかすのはむずかしいだろう。

 

 それにしても、俊春はよく会津侯を連れだせたものだ。

 

「熱がでてしもうた」

 

 会津侯は、おれの疑問にこたえるかのように口をひらいた。

 

 燭台の一つもない。小皿の上に蝋燭を一本立てただけのうす暗い室内である。そんな灯りのなかであっても、編み笠をぬいだ会津侯のは憔悴しきっているのがわかる。

 

 いたいたしいまでのである。

 

 ってか、おれは会津侯にまでよまれているってか?

 

「せめて一夜、床に伏せさせてくれと泣きつかねばならなんだ。の口添えのおかげで、どうにか伏せることができたわけだ」

 

 会津侯は、そういってからつかれきったようなかわいた笑声をあげた。

 

 という将軍の侍医だった蘭方医である。近藤局長や副長と懇意にしていて、明治期には永倉の要請で二人の供養塔を建立する。

 かれ自身、腕の立つ蘭方医のため、いまは旧幕府軍に与しているが、明治期には明治政府に出仕して大日本帝国陸軍の初代軍医総監となるのである。

 

 そんな活躍だけではない。かれは、世のなかに牛乳の摂取をすすめたり、海水浴をひろめたりと、ちょっとかわってもいる。

 

 それを思えば、『牛乳命』の親父の信奉の対象でもあるわけだ。

 

 それは兎も角、松本が会津侯の願いをうけ、このおしのびに一役かってくれたってわけだ。

 

 しかも、護衛が俊春である。万の兵に護られているより、よほど頼りになるし確実である。

 

 副長はその会津侯の説明に、無言でおおきくうなずいただけである。

 

 そこまでしてわざわざ会いににきてくれた……

 

 感激しすぎて言葉がでず、そんなリアクションしかできなかったにちがいない。

 

 そして、それをみた会津侯も、ホッとした