『ああ。だから面倒だろうが今日は会ってやって』

 

『わかった』

 

『今日も気を抜かないこと。沖田にも動きがあるよ』

 

『わかった。懲りない暇人だな…年明けに改めて釘を刺す』

 

聞き覚えのある声に、詩の意識は浮上する。

 

褥の中ーー詩は1人で横になっ恒指 期貨 ている。

隣の部屋への襖は少し開いていてーー信継と牙蔵が話をしていた。

 

ーー牙蔵さん…

 

詩の胸がずきりと痛んだ。

 

昨日のことーー

そして夢ーー

 

詩は今の姿を見られたくなかった。

咄嗟にそう思った。

 

信継と一つの褥で休んだ。

覚悟して、信継のものになると言った。

 

なのにーーなぜか、牙蔵にはこの姿を見られたくないと思った。

 

「お前の女…起きたんじゃない?」

 

「こら牙蔵…そういう言い方をするな」

 

「…」

 

ーー『お前の女』

 

気のなさそうな牙蔵の声とーーくすぐったそうな信継の声。

 

衣擦れの音ーー信継と牙蔵が向かってくる。

 

詩は慌てて褥から出て、簡単に身づくろいすると正座した。「起きたか!…う…

いや、桜」

 

大股で歩いてくると、笑顔の信継はドカッと詩の前に座った。

 

『詩』でなく『桜』とーー

牙蔵の手前、真名を伏せてくれた信継の優しさーー詩は畳に手をついて信継に深く頭を下げた。

 

「おはようございます、信継様。

寝過ごしてしまい、申し訳ありません」

 

「いや。大丈夫だ………」

 

からりと笑う信継は、蕩けそうな優しい笑顔でじいっと詩を見つめた。

その場の空気が、甘くなった。

親密になった男女の空気だ。

信継のそんな顔を見ただけで詩はボッと赤くなる。

 

何度も触れた、信継の唇ーー夕べの記憶ーー

 

どうしても思い出す感触と温もり…

詩は赤くなる顔を隠すように目を伏せた。

 

「ああ、桜。

牙蔵が来てるんだ」

 

信継は背後の牙蔵を見上げた。

 

「…っ」

 

詩はとても牙蔵と目を合わせられず、また深く頭を下げた。

 

牙蔵の視線が突き刺さるようだった。

そんなはずもないのにーー

 

『…すみません、信継様、少しよろしいでしょうか…』

 

「ああ、行こう」

 

その時、廊下から声がした。宿の方から呼ばれて、信継がさっと席を外す。

 

「…」

 

「…」

 

火鉢の中の炭が、静かに崩れた。

 

牙蔵は立ったまま。

 

詩もまた顔を上げられずにいた。

 

「…お前も晴れて寵姫だね」

 

「…っ」

 

「次期高島家当主の奥方か」

 

ぼそりと呟かれた穏やかな言葉ーー

詩は弾かれたように思わず牙蔵を見上げる。

 

「…」

 

目が、合う。

 

牙蔵は何でもなさそうにーー感情の読めない微笑みをその顔に湛えている。

 

「…これからは立場に自覚を持て」

 

「…」

 

「それと一つだけーー」

 

詩は牙蔵を見上げた。

 

牙蔵はスッと詩の前にしゃがみ込むと、詩の耳に口を寄せた。

 

「…………………」

 

「…っ」

 

牙蔵はあっという間にいなくなる。

 

詩は固まったみたいに動けないまま、その目を見開いていた。

 

 

 

『連絡ありがとう』

 

廊下側の襖が開いてーー信継が戻ってくる。

 

信継はきょろきょろと部屋を見渡して、牙蔵がいないことに気づいた。

 

「あ?牙蔵は…もう行ったのか。

 

桜ーーいや、詩」

 

話しながら詩のいる部屋に入って来た信継は、詩の顔を見て怪訝な顔をした。

 

「詩?何で泣きそうな顔してる…?」

 

信継はさっと詩の前に座ると、詩のカラダをさっと抱き寄せた。

 

心配そうな信継の顔。

大きな腕に引き寄せられ、その胸のぬくもりにぎゅうっと包まれると、詩は震えそうになる指で信継の着物をギュッと握り返した。

 

「…詩?

 

…もしかして…牙蔵に何か言われたか?」

 

詩は信継の腕の中ーーブンブンと首を振る。

 

”一つだけーー”

 

耳元で囁かれーーそのまま脳の中に入り込んだような、牙蔵の言葉が詩の頭をぐるぐるまわる。

 

”信継を裏切ったら…殺すよ”

 

”俺が、お前をーー”

 

”いつでも、どこにいても”

 

あの、冷たい瞳。

青白い微笑み。