2023年08月

は、草が夜露に濡れているのをみてとる。

 

 いよいよ、一本勝負。

 

 めっちゃ緊張してしまう。それは、局長も副長も相棒も同様で、みなの緊張が伝わり、よけいに緊張してしまう。

 

 俊冬は、俊春の右を襲うだろうか。俊春のみえぬを狙って。俊春は、それをみこしているだろうか。裏の裏をかくということもあるし、裏の裏の裏をかくということもあるだろう。

 

 10カウントにちかい。そのとき、朱古力瘤 俊春が笑みを浮かべた。不敵な、というよりかは余裕があるからこそ、愉しいって感じの笑みである。ほぼ同時に、俊冬のにも、同様の笑みが浮かぶ。

 

 前回の日野での兄弟対決では、俊冬が激おこぷんぷん丸状態であった。俊春が、右がみえていないことを隠し、俊冬だけでなくみなをごまかしていた。俊冬はそれに怒り心頭し、ブチ切れたのである。

 ゆえに、その勝負に笑みなど一つもなかった。まさしく、死闘といえるような勢いであった。

 

 その対決で、俊春は、俊冬の愛刀「関の孫六」によって右の掌を刺し貫かれた。

 その傷は、いまだにくっきりと残っている。時間が経てば、うすくちいさくはなるだろうが、まったく跡形もなく消えることはないだろう。

 

 あのときの一戦にくらべれば、今夜の二人は愉しそうである。みていて緊張はするものの、ワクワクもしている。

 それは、局長や副長も同様であろう。そして、相棒も。

 

 刹那という言葉が、これほどしっくりくることはないだろう。それこそ、瞼をとじる、あるいはひらけるまでに、すべてがおわっていた。

 

 二本の銀色の軌跡が、眼前をはしったような気がした。

 あいかわらず、で追うことすらできぬとは、成長がない。情けないかぎりである。

 

 かれらは、居合抜きし、納刀して残心に入っている。

 

 それから、同時にそれぞれの得物を鞘ごと腰から抜き、感謝の念をつぶやく。

 

 俊冬はおれに「之定」をさしだし、俊春は局長に「虎徹」をさしだす。

 

 俊冬から「之定」を受け取りながら、勝負がどうなったのかをきいてみた。

 

「すまぬな、主計。「之定」の力をだしきることができなかった。ひとえに、わたしの力不足」

 

 俊冬は、苦笑しつつ顎を上げてみせる。

 

 喉仏のすぐ上あたりに、赤い筋がはしっている。それこそ、気合いをいれてをこらしてみないとわからぬほどのものである。

 

 俊春は、さして誇るわけでもなく、局長に「虎徹」を返している。

 

 勝負は、俊春の勝利におわった。

 

 ぜひとも歴史に残してもらいたいほどの名勝負である。

 

 それは、しっかり脳裏とに、しっかり焼き付け、刻み込まれている。

「誠に怪我は大丈夫なのか、かっちゃん?あんたは昔っから、体躯の不調を隠したがるだからな」

「歳、おまえに申されたくはないな。案ずるな。法眼の治療と、ぽちたまの世話のおかげで、あれだけ動かしても痛みはない。それどころか、あれだけ動かせたことに、自身、驚きを禁じ得ない。ぽち、たま。あらためて礼を申す」

 

 まえをあるいていた局長のあゆみがとまり、うしろを向くと双子に頭をさげる。

 

 双子は、食事療法、リハビリ、マッサージを、局長におこなっていたらしい。

 

 そういえば、俊冬が「局長が怪我のことを気にしている」といっていた。リハビリの際に、局長がそういったことを漏らしたのかもしれない。

 

「松本先生の治療もでしょうが、ひとえに、局長の忍耐と努力の賜物でございます。われらなど、お側についていたにすぎませぬ」

 

 俊冬は、ムカつくほど如才なく応じる。

 

 たしかに、そのとおりかもしれない。だが、そのようにもっていったのが双子である。

 

「かっちゃん。くどいようだが・・・」

 

 それまでだまっていた副長も、うしろを振り向き、たまりかねたように口をひらける。

 

 おれもであるが、局長がいまの勝負で、前途に希望や気力をみいだしたのではないかと、かんがえたにちがいない。

 

 いいや、ちがう。みいだしてくれたと、信じたいはず。

 

「歳・・・。誠にくどいな」

 

 局長は怪我をしているほうの腕をあげ、副長の頭をごしごしなでる。そのごついには、苦笑が浮かんでいる。

 

「歳。それから、ぽちとたま、兼定・・・」

 

 局長は、呼びかけながらそれぞれと

」は、ぽち同様たまにもつかってほしがっているにちがいありません」

 

 ベルトから「之定」を鞘ごと抜き取り、俊冬にさしだす。かれは刹那以下で躊躇したものの、すぐに笑顔になって受け取る。

 

 なんてこと。とつじょはじまる剣術試合。しかも、天然理心流宗家の近藤勇と、日本一といっても過言ではない俊冬の対戦である。

 

 相棒についてきてよかった・・・。 

 

「かっちゃん、おい、無理すんじゃねぇよ」

「歳、わかっている。子宮內膜增生 だが、これまで剣術試合で本気をだしてやりあったことなどそうおおくはない。後悔しているのだ」に悟らせねぇ。しかも、流派のことになれば、みずから告げることはねぇ。そんな連中と勝負して、いったいなんの意味があるんだ」

「歳・・・。おまえには一生わからぬであろう。剣一筋ですごしてきたわたしには、強き者、面白き相手があらわれれば、無性に戦いたくなるのだ。新八や斎藤君も同様。かれらも、負けるとわかってはいても、やりたがっていたであろう?生粋の剣術馬鹿とは、そういうものなのだ。しかし、その反面、四代目宗家として、さらには新撰組局長として、負けられぬ。醜態をさらせぬ、という矜持もある。そのくだらぬ矜持が、勝負をし、負けてしまうことを躊躇させたのだ。ゆえに、その機をみずから逃してしまったわけだ」

 

 なんとなく、わかるような気がする。局長が勝負をするということは、イコール天然理心流宗家としての面子がある。

 個人というよりかは、流派そのものが否定されることになりかねない。

 

「だが、いまはもうすべてがふっきれておる。おしむらくは、気組は迷いなく充実しておるのに、体躯が十二分ではないということであろう」

 

 そして局長は、のたかさにかかげもち、瞼をとじている。唇が動いているところをみると、俊春同様祈りかなにかを捧げているのであろうか。

 

 なにかの儀式のように。

 

 かれはしばし瞑目し、それから瞼をひらける。尻端折りする着物に、すばやく「之定」を帯びる。

 

「おまたせいたしました」

 

 こちらに向き直り、一礼する俊冬は、いつものおちゃらけた様子とまったくちがう。

 重苦しいほどの真摯さが、漂いまくっている。

 

 しれず、固唾を呑みこんでしまう。俊春と

「後悔?」

に、この戦がはじまるまえに、挑んでおけばよかった、とな」

「はあ?なにゆえ、勝負にこだわる?こいつらは敵じゃない。それに、こいつらは剣士だってことすら

 局長は、暗闇にぼーっと浮かぶ山の影へとがあう。すると、かれがそうとはわからぬほど、ちいさくため息をついたように感じられた。

 

 どういう意味なのだろう。自分がやりあえなかったことへの失望か?それとも、兄にたいしてなんらかの思いがあるのか。

 

 道からはずれ、欅のまえに移動する。野っ原がひろがっている。剣術の試合どころか、「天O一武道会」の会場になってもさしつかえなさそうである。

 いや、それはもりすぎか?

 

 ふと、欅の横に、ちいさな祠があるのに気がついた。道祖神でも祀られているのだろうか。

 

「道祖神だな」

 

 副長もまた気がついたようだ。おれの右横に立ち、そうつぶやく。反対側には俊春と相棒がやってきた。もちろん、相棒は、俊春の左横に座るのかと思いきや、おれの左横に、つまり、おれたちの間にわってはいってきて座った。

 

 んん?もしかして、おれの横のほうがいいと?やっぱり、の横のほうが落ち着くと?

 

「兼定。おぬし、意外とやきもちやきなのだな。案ずるな。わたしは、だれかさんになびくようなことはない。これでも、男の好みはうるさいのだ」

 

 ソッコー、俊春のささやき声が耳に飛び込んできた。

 

「いや、ぽち。いまの、どういう意味なんですか?」

 

 ツッコミどころ満載である。

 

「しずかにしろ、主計。真剣勝負がはじまるんだからな」

 

 そして、副長に叱られるのはおれ。を戻す。

 

 二人は、たがいの遠間の位置で向き合っている。もはや、二人の間に言葉など必要ない。

 こうして向き合っているだけで、おたがいをわかりあえる・・・。

 

 と、いいたいところであるが、すくなくともおれには、それは無理である。

 

 同時に一礼し、睨みあう局長と俊冬。

 局長の気組は、すでに満ちて充実していることがわかるが、俊冬のそれはまったく感じられない。

 

 局長は、あいかわらずすごい貫禄である。俊冬が、貧相にみえてしまう。

 

 ゆったりとした動作で、左腰の「虎徹」を鞘から解放する局長。

 

「今宵の虎徹は血に飢えている」・・・。

 

 ぜひとも、この創作上の名台詞を、局長にいってもらいたい。

 

 局長の「虎徹」は、贋物であるという。

 

 

 

 ぐすん。職場やクラスに一人はいる、注意されやすく叱られやすい

を奪う、という作戦に抜擢された瞬間、「腹が痛い」だの「頭が痛い」だの「船酔いするから」だのといって、回避するように思います」  馬鹿にしているわけではない。かれは、いい意味でそれだけ要領がいいということをいいたいのである。    ああみえて、現代っ子バイリンガル野村は、勇敢だしそこそこ腕が立つのである。それに、現代語や英語を吸収し、それをつかいこなすだけのスマートさもある。さらには、世渡り上手でずるがしこい。なににもまして、助兵衛だ。  そんなかれが、漫画や映画のワンシーンのように、自己犠牲満々で敵船上で死ぬわけなんて、ぜったいにない!おれの全人生を賭けてもいい。もちろん、相棒の散歩係としての全人生である。 「ありえねぇだろうが」 「ありえませぬな」 「ありえませぬ」 「そんなのないない、ですね」  四人がかぶる。 「まぁ、野村なんざめずらしい名じゃねぇ。避孕藥香港 どっかちがうところの野村殿の話なんだろうよ」  そして、架空の野村さんがでてきた。  また副長が笑いだすと、おれたちもつられて笑ってしまう。今回は、相棒はケンケン笑いではなく、お座りしてにやけたは、副長にクリソツすぎる。  心ここにあらず、なのだろうか。相棒の頭から掌をはなすと、つぎはそれを俊春の頭へとのばし、こぶりの頭をゴシゴシとなでまくる。  さすがに、俊春の眉間に皺がよることはない。が、かれのはあきらかに困惑している。 「副長・・・」  口中でつぶやいてしまう。  局長のことが、気がかりで仕方がないにちがいない。 「副長、なんなりとご命令を。われら、いかなるでも従います」  俊冬の低くちいさいその言葉が、副長の耳にどのように響いているだろう。  無言をつらぬく副長。ややあって、俊冬がまた口を開く。 「ここだけの話ですが、局長は、怪我のことも気にされておいでです] 「怪我?」  副長のリアクションは、まるでそれをはじめてしらされたかのようである。 「局長にとって、斬られたことが無念で口惜しいことなのです。二度とまともに剣をふれぬとあっては、なおさらのこと」 「馬鹿な。まったくつかえねぇってわけじゃない。木刀だって、かるくふるには問題ねぇんだ。そんなことで死んでもいいって思うんなら、馬鹿馬鹿しいかぎりじゃねぇか、ええ?」  気色ばむ副長。ちかづいてきた俊冬の粗末な着物の袷部分をつかもうと掌をのばしかける。が、それを中途でとめ、むなしくおろす。  蟻通をかばった俊冬の頬を、殴りつけたことを思いだしたのであろう。  俊冬は、なにゆえか無言のままで、副長をみつめている。  そのは穏やかで、副長を非難したり責めているわけではない。副長の気持ちも局長の気持ちも、どちらの気持ちもよくわかっている。そう語っているかのようである。 「局長の気持ちは、われらには理解できぬでしょう。なぜなら、副長、あなたも主計もわれらも、誠の剣士ではないからです。永倉先生や斎藤先生、沖田先生なら理解いただけるのでしょうが・・・」  誠の剣士ではない・・・。そういわれて、不快に思わぬところが、やはりかれのいうとおり誠の剣士ではないということなのだろう。  かんがえてみれば、たしかにその通りかもしれない。おれも、餓鬼のから剣道や居合をやってはいるが、それだけではなかった。もしも怪我や病でできなくなったとしても、そこで人生がおわるとまで悲嘆するわけではない。しばらくは、ロス感にさいなまれたとしても、時間が経てば、ほかの生きがいなりなんなりを模索するだろう。  剣にたいする想いが、しょせんその程度のものかといわれれば、なんとも答えようもない。正直なところ、いまはおなじ「けん」でも「犬」、つまり相棒のほうが大切だし、想い入れは強い。  副長も同様だろう。いい刀を所持していたとしても、それだけではない。むしろ、剣は攻守の一つの道具にしかすぎない。なければないで、ほかの汚いをつかう。    双子もである。かれらは、最高最強の剣士でありながら、それだけに頼っているわけではない。それどころか、無頓着ですらある。  だが、局長は・・・。は尊重すべきであろう。  それに、子どもたちが一人もいなくなってしまったら、寂しくなる。戦に連れまわすということじたい、虐待チックだし、倫理的にどうかと思う。しかし、はなればなれになることを思えば、『戦いには参加させず、護り抜く』、この二つを確実にこなせば、ともにいてもいいのではないのか。  この願いは、しょせん身勝手なエゴなのであろうか。  やはり、俊冬のいうとおり、剣を奪われたことが、死を覚悟させた要因の一つなのだろうか・・・。

でしか、局長の騎馬の面倒をみることしか、お役に立てぬのです」 「案ずるな。おれたちも、おまえを必要としている。おまえの馬術の腕と知識でもって、会津に恩を返したいのだ」  安富は、渋々というか泣く泣くというか、とりあえずひ了承した。  いや、ぶっちゃけするしかない。  馬具の準備は双子がするという。  かれは、副長から自分自身の準備をするようにいわれ、畜舎をあとにする。  出発は、流山へ向かうおれたちと同時間帯である。  隊士が数名、同道することになる。 「才輔は、かっちゃんに惚れこんじまっててな」  避孕丸 安富が去ってからしばらくののち、副長がぽつりとつぶやく。 「いや、へんな意味じゃねぇ」  副長は、双子もおれも反応しなかったので、ムダに付け足す。 「なにより、義を重んじすぎる。のなかでは、ある意味一番まともだ。ゆえに、これからおこるであろうことを目の当たりにすりゃぁ、才輔はあとを追って腹きっちまう」  その推測は、驚愕に値する。  馬だけじゃないのか、安富?でも、そんなに好きになれるんだ。いや、好きというよりかは、信頼、尊敬しているといったほうがいいだろう。  常に馬にありったけの愛情を注いでいる安富。それとおなじだけの信頼や尊敬を局長に向けているとすれば、殉死もありえるかもしれない。  ゆえにこれまで、安富のいないところで局長の話をしていたわけか。とてもではないが、真実を、きたるべき未来を、かれに語るわけにはいかぬ。  では、それを後日、会津でしったとすれば・・・。目の当たりにするよりかはまだ、ショックはおおきくないのだろうか。  ちなみに、安富も蝦夷までゆき、生き残って終戦をむかえる。 「あいつのことまで思いいたらなくってな。本来なら、斎藤といかせれば自然だったんだろうが・・・」  それでも思いいたり、本隊からわかれて会津に向かわせることができたのである。ギリセーフだ。流山にいってからではおそすぎであろうから。 「それでだ、たま。さっきの会津の駒奉行云々の話、ありゃぁ誠なのか?」  そういえば、俊冬がそれをいったとき、副長の応答が奇妙であった。 「さあ。わたしがしるのは、会津藩には駒奉行なる役職がある程度でございます。それと馬術には、小笠原流、流、が大坪流と同様、古流とされている、とぐらいしか」  やわらかい笑みとともに、しれっと答える俊冬。 「なんてこった。おれ以上にしたたかなやつだな、ええ?」  さすがの副長も、苦笑している。 「会津も、秀でたをもつ武人は大歓迎してくれましょう。しかも会津じたい、戦の準備に、否、戦を目前にしておおわらわで、われらの申したことが嘘か誠かどころのさわぎではございません」 「たしかにな。俊冬、礼をいう。おまえの機転で、才輔は会津にゆくことになったんだしな」 「いえ。ただのごまかしでございます」  俊冬の「で、主計。才輔は?あいつは、どうなんだ?」 「安富先生も、生き残ります」 「そうか・・・」  おれの問いに、副長が心底ほっとしたのが感じられる。  自分自身のことより、安富が生き残るということに、心底ほっとしている・・・。 「ほかは?だれが死ぬ?」  その問いに、明日の準備をしはじめた双子の掌と脚がとまる。  副長がこちらへ歩をすすめ、近間に入る手前でそれをとめる。おれは、馬の蹄の跡のついた壁に背をあずけ、副長とをあわせた。  上司と話をするのに壁にもたれるなどと、社会人のマナーとして「どうよ?」ってツッコまれそうであるが、なにかの支えがほしかったのである。「これから各地で戦闘になれば、隊士たちは戦死したり行方不明になったり、敵に捕縛されたり投降したりします。それでも、おおくの隊士や途中で加わる人たちと、蝦夷に渡ることになります。それは兎も角、先ほどのご質問ですが、さきにもお話した通り、この後、江戸では彰義隊が上野で敵と渡りあい、結局、負けます。その際、なにゆえか原田先生が、靖兵隊より抜けて江戸へ戻り、その上野あたりで死ぬはずでした。そして、松本先生の伝手で、千駄ヶ谷のさる植木屋で療養していた沖田先生が、ちょうどいまから一か月ほど後に、亡くなるはずでした」

どっからどうみても、立食パーティーというよりかは、ショッピングモールのフードコート的なレシピである。  ちなみに、ピザ生地とパンは、先日の女児の誘拐犯たちがねぐらにしていた炭焼きの窯を改良して焼くことにする。 安全期 双子と金子は、朝一番から食材集めに奔走した。小麦とか酵母とかチーズとかバターとか、双子の秘密の伝手をつかって、異国の船より買い付けたらしい。おおくはないが、トマトケチャップの元祖的なものも入手できたとか。ラーメン用のかんすい、フライドチキンの衣と油、カレーライスに使う香辛料もまた、いろんな伝手でそろった。  材料がそろってからが大変である。みなで手分けし、強力粉からパンやピザ生地、あんまんの皮をこね、カレーやラーメンのだしを煮詰めたり、窯を整備したり、ひたすら米を炊いたり、香辛料を砕いたりすったり、軍鶏をさばいたり、ネギを永遠に刻んだり・・・。は全員、いますぐにでもお婿にいけそうな勢いで、料理のスキルが身についただろう。  ピザ生地づくりは、以前、イタ飯を喰いにいったさいに、そこでパフォーマンスで生地を伸ばしていたのを思いだしつつ、双子に告げる。  すると、あっという間にそのとおりに指先でくるくるまわしつつ、薄く、丸く、伸ばすではないか。  なんてこった。イタ飯のシェフよりうまい。これだったら、本場イタリアでおこなわれる世界ピザ職人選手権大会で優勝できるかも、っていうくらい均一に、もちろん、穴をあけずにのばしてゆく。  市村や田村だけでなく、村の子どもたちも集まっている。二人は、村の子どもたちとここ数日で仲良くなったらしい。  子どもらもまた、挑戦。いろんな形と分厚さのピザ生地ができあがる。  パンは、塩パン、すなわち食事パンと、ハンバーガー用のバンズをつくった。こちらも、成形、酵母は麹をつかって発酵させてから、窯で焼く。  一次発酵、二次発酵で、ひとりでに膨らんでゆくのをみ、局長や隊士たちは驚いていた。  ふと、明治期に斎藤が横浜のパン屋に転がり込んで働くというストーリーの「一O食卓」という少女漫画を思いだしてしまう。  ラーメンの麺を打つ。だしは鶏ガラ。くず野菜などと煮、濃厚なスープに仕上げる。それはそのままカレーにも活用し、そこにスパイスを投入してカレーに仕上げてゆく。赤ワイン、ソースも忘れない。  フライドチキンの衣も、何種類ものスパイスをきかせた逸品。油は、この時代、まだ高価な菜種油を使用。『カーネル・サOダース』に負けぬ、衣はサックサク、なかはジューシーなフライドチキンに仕上がるはず。  ちなみに、かれは、1890年、いまよりもうすこし後に、アメリカのインディアナ州で誕生する。じつは、それがかれの本名ではない。『カーネル』は、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」の称号のことである。 ネギ焼きは、本来ならお好み焼きにしたかったところを、キャベツがないためにネギ焼きにしたわけである。    ところがどっこい、ネギ焼きもすてたものではない。こんにゃくと軍鶏の鶏皮を甘辛く煮、そこに七味を投入する。本来なら、こんにゃくとすじ肉であるが、そこを鶏皮で代用したわけである。大量のねぎとその甘辛く煮たものを、小麦粉を水で溶いた生地の上にのせ、そのうえにまた生地をかけて焼く。裏表こんがり焼いて、お好みで目玉焼きの上にネギ焼きをのせてもいい。仕上げに、お好み焼きソースとマヨネーズをかけてもいいし、シンプルに醤油でもいい。青のりと削り節をふりかけできあがり。紅ショウガを入れてもいいだろう。  今回は、さっぱりと醤油でいただくことに。  大阪に十三という町がある。そこに、昭和四十年からやっているネギ焼きの店がある。最高にうまい。おれも、何度かいったことがある。お好み焼きに負けぬ、最高のソウルフードである。  ピザは、のばした生地の上にケチャップを薄く塗り、ちかくで採れたきのこ、異国人から入手したというベーコンの塊を薄切りにしてのせる。さらに、そぎ切りにしたチーズをのせ、整備しなおした窯で焼く。  塩パンは焼くだけで、バンズは二つにカット。鶏肉をミンチにしてパテをつくって焼き、薄切りのチーズ、和風の甘辛だれをはさんで出来上がり。  カレーは、チキンカレーに。またしても、軍鶏たちの犠牲に感謝せねばならない。ラーメンの鶏ガラスープにいたるまで、軍鶏たちは大活躍してくれた。ラーメンの具材は、ネギと海苔。シンプルイズベストってやつだ。  おむすびは、塩むすび。村でつくった米で炊いた飯を、隊士たちが握ったのである。わりと器用な隊士たちが、それぞれ独創的な形で握っている。  本来なら、豚まんといいたいところだが、スイーツがわりにあんまんにしてみた。餡は、小豆を砂糖と少量の塩をいれて煮、強力粉から練って発酵させた皮で包む。それを、蒸し器で蒸してできあがり。

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