心臓に悪い。
冬乃は決意して来たものの。脱衣所で脱いでいる時から、内心はらはらしていた。
江戸時代の風呂場の造りでは当たりまえなのか冬乃には謎だが、脱衣所と洗い場の仕切り戸がないのである。扉を開けられてしまえば、その時点で、奥まで見通せてしまうのだ。
物音を聞いて洗い場から「入ってます」の声をかける時間すら持てないということ。
部屋に筆記用の墨壺を用意していない冬乃は、いちいち墨をすって書いている時間など無いから、もちろん戸に張り紙すらできてなく。
かといって、international school hong kong 扉に内側から箒か何かの棒を立てかけて開かないようにする、というのも、なんだか感じが悪い気がしてしまう。与えられた時間の、もっと早いうちに入っておかなかった冬乃がいけないのに。・・気遣い過ぎかもしれないものの。
もっとも、彼らにとっては普通の力で勢いよく開けられれば、そんな棒も折れるだけだが。
(どうか、早く帰ってきてしまいませんように・・)
持ち込んだ手燭を脱衣所に置いたままに冬乃は、木の板が敷き詰められた、水はけのために傾斜のある洗い場を踏みしめる。
淡い光のなか、風呂桶とは別にある掛湯用の桶から、湯を汲んで体にかけて。心を鎮めようにも無理な話なので、冬乃はひたすら急いだ。
今日は体を洗うだけで済ませるしかない。湯に浸かっている時間は無く。
もっとも沸かし直してすらないから、この掛湯同様、だいぶ冷めているかもしれないと。
思いながら、あと少しで終えられる、という時。
「原田さん、待った・・!」
よりによって沖田の声が、不意に外で聞こえて。
(え)
刹那に。
スパーンと。戸が開いた。
(きゃああぁぁぁ)
「あ?・・嬢ちゃんか?」
叫ぶ間もなく、咄嗟に両腕で前を覆ったものの。
戸に対して、斜めに背を向けたような状態だった冬乃の脳裏には、
(頭隠して尻隠さず)
混乱しすぎて、ことわざが浮かぶ。
いや、たしかこういう意味では無いのだが。
「こんな時間までごめんなさ・・っ」
戸に対してどういう向きになればいいのか今更わからず、冬乃は凍りついたままとにかく謝りながら。首だけ怖々と戸を向いた。
(あれ)
何故か戸口には原田だけで。沖田の姿が見えず、幾分ほっとしてしまったものの。
(声がしたのに)
「原田さん、」
そこに、戸の向こうに居たらしく彼の声がした。
「いつまでそっち向いてんです」
続いた呆れ声に。
原田が、はっとした様子で「お、悪い!」と回れ右をした。
(いえ、悪いのは遅くに使ってる私ですし・・!) 冬乃の視線の先で戸が閉められると同時に、
「冬乃さん、慌てなくていいからね」
戸越しに沖田の声が響いてきた。
(そんなわけにいきませんっ)
冬乃は早々に立ち上がって、脱衣所へ急ごうとして。
滑った。
だあああん
かぽーーーん
自分の受け身の音とともに何故か、高音域の音が冬乃の耳を過ぎり、
「・・いったぁ・・」
自分でも訳が分からぬままに、なんとか受け身がとれた姿勢で目をまわしていると、
「冬乃さん?大丈夫?」
「おうい生きてるかー?」
外から、心配する沖田たちの声が連なって届き。
「だいじょうぶです生きてます・・!すみません!」
外に届くように冬乃は叫んでから、
よくよく見渡せば、どうも向こうに転がっている桶が、先程の音の正体だったようで。
転んだ拍子に、手から飛んでった石鹸用のヌカ袋が、その辺に積んであった桶のひとつを直撃して落としたらしい。
傍まで戻ってきていたヌカ袋を拾い上げて、よろよろと立ち上がる冬乃に、
「嬢ちゃん、ほんとに無事なのかー!」
原田が再度確認する声が響き渡り。
「はいっ、無事です!」
(あ、でもちょっとおしりイタ・・)