「良いでしょう。今後の事じっくりと話し合いましょう。」
ナーザレフは態度を豹変させ、ハンベエとイザベラを恭しげに招き入れた。王女への刺客として赴いたクービルの事が気になっていたが、うっかり話に出すと藪を突ついて蛇を出しそうな気になり、先に相手の話を聞いて置こうという気になっていた。
タンニル、シンドルが続いて館内に戻り、ウルゴラーも続いた。ウルゴラーは片時もハンベエから眼を離していない。警戒を緩めたわけではないが、ナーザレフの態度に様子を見る事にしたようだ。さすがに昨日暗闇の中で見た曲者の片割れがモスカ夫人と名乗る女人と同一人物とまでは気付いていないようだ。
ウルゴラーは定位置に戻ったが、ふとハンベエ達に尋ねた。
「昨日の夜、二人組の曲者がこの館を窺っていて争いになった。取り逃がしたがお前達と関係のある者か。」
「ヒューゴとイザベラだな。二人とも俺の手下だ。そう言えば、ヒューゴが世話になったようだな。」
ハンベエは極めて事務的に答えた。
「何をさせるつもりだったのだ。」
「ナーザレフが本当にここにいるか。確認させていたのだ。気の早い御仁が居て、殺し合いになったようだが。」
あくまで感情の無いハンベエの返答に、ウルゴラーはそれ以上は何も言わなかった。
ナーザレフ、タンニル、シンドル、そしてイザベラはテーブルを囲み、ハンベエは少し離れた場所で腕組みをして壁に寄り掛かった。「さて、この国の争乱もどうやら大詰めになって来たようじゃ。このまま行けばゴルゾーラは滅び、エレナが勝ち残る事になるであろう。しかし、妾はその後エレナを生かしておくつもりはない。妾の居場所が無くなるからのう。あのレーナの娘如きがこの国の主になるなど許し難い事じゃ。何より、我が子フィルハンドラの仇であるからの・・・・・・おのれ、八つ裂きにしても飽き足らぬわ。」
フィルハンドラの名を出した途端、イザベラの化けているモスカ夫人は憎々しげに顔を歪めた。底知れぬ憎悪と狂気がその目に宿り、あたかもモスカの亡霊が憑っているかのようである。元より、この場にいる者はハンベエ以外はこの女人をモスカ夫人と思い切っているのであるが。ナーザレフはその雰囲気に気圧されて寒気を覚えたほどであった。
「ここから先の話は、ナーザレフよ。ちと二人だけでしたいのじゃが。そちはエレナの事を『汚れの乙女』と呼んでいるそうじゃな。その理由も詳しく知りたい。妾も彼奴からはずっと邪悪なものを感じておる。きっと話が合うであろう。」
と一呼吸置いてイザベラはナーザレフに言った。ナーザレフはイザベラの提案に戸惑いを見せた。その時、
「モスカ様、それは。」
壁に身をもたせ掛けていたハンベエが一歩前に出て不満そうな顔をした。
「案ずるな、ハンベエ。相手は神に仕える者じゃ、そなたの心配するような事は起こりはせぬ。」
とイザベラはハンベエを振り返って言った。それから、
「済まぬな。ハンベエは見掛けに寄らずとんでもない焼き餅焼きでな。妾が他の男と親しくすると良い顔をせぬのじゃ。もっともそこが可愛いのじゃがな。ホホホホ。」
とイザベラは口許を覆って驕慢な笑みを浮かべた。
一瞬緊張を走らせたナーザレフであったが、このノロケを聞かされて侮りの嗤いが胸の内に起こっていた。
「では、人払いを。」
とナーザレフが言うと、
「いや、それも皆に悪かろう。それに外で聴き耳を立てられるやも知れぬ。そうじゃな。表に馬車がある。あの中で、そちと二人で。」
「馬車の中で。」
「そうじゃ、密談には丁度良い。・・・・・・何じゃ、妾が怖いのか。心配せずとも妾も神に仕える者を誘惑したりはせぬ。ハンベエがおるしのう。」
と妖艶な笑みを浮かべてイザベラは言った。
ハンベエは面白く無さそうに横を向いていた。
ナーザレフはタンニルとシンドルに留まるように手で制すると、先導を求めるように差し出されたイザベラの手を引いて館の出口に向かった。ハンベエは不承不承という風情で道を譲った。 ナーザレフはハンベエには明らかに恐怖を伴った警戒心を見せていたが、イザベラの事はモスカ夫人だと思い込みきっているので何の不安も懐く事無く他の者を残して館を出て行った。