2021年06月

「良いでしょう。今後の事じっくりと話し合いましょう。」

 ナーザレフは態度を豹変させ、ハンベエとイザベラを恭しげに招き入れた。王女への刺客として赴いたクービルの事が気になっていたが、うっかり話に出すと藪を突ついて蛇を出しそうな気になり、先に相手の話を聞いて置こうという気になっていた。

 タンニル、シンドルが続いて館内に戻り、ウルゴラーも続いた。ウルゴラーは片時もハンベエから眼を離していない。警戒を緩めたわけではないが、ナーザレフの態度に様子を見る事にしたようだ。さすがに昨日暗闇の中で見た曲者の片割れがモスカ夫人と名乗る女人と同一人物とまでは気付いていないようだ。

 ウルゴラーは定位置に戻ったが、ふとハンベエ達に尋ねた。

「昨日の夜、二人組の曲者がこの館を窺っていて争いになった。取り逃がしたがお前達と関係のある者か。」

「ヒューゴとイザベラだな。二人とも俺の手下だ。そう言えば、ヒューゴが世話になったようだな。」

 ハンベエは極めて事務的に答えた。

「何をさせるつもりだったのだ。」

「ナーザレフが本当にここにいるか。確認させていたのだ。気の早い御仁が居て、殺し合いになったようだが。」

 あくまで感情の無いハンベエの返答に、ウルゴラーはそれ以上は何も言わなかった。

 ナーザレフ、タンニル、シンドル、そしてイザベラはテーブルを囲み、ハンベエは少し離れた場所で腕組みをして壁に寄り掛かった。「さて、この国の争乱もどうやら大詰めになって来たようじゃ。このまま行けばゴルゾーラは滅び、エレナが勝ち残る事になるであろう。しかし、妾はその後エレナを生かしておくつもりはない。妾の居場所が無くなるからのう。あのレーナの娘如きがこの国の主になるなど許し難い事じゃ。何より、我が子フィルハンドラの仇であるからの・・・・・・おのれ、八つ裂きにしても飽き足らぬわ。」

 フィルハンドラの名を出した途端、イザベラの化けているモスカ夫人は憎々しげに顔を歪めた。底知れぬ憎悪と狂気がその目に宿り、あたかもモスカの亡霊が憑っているかのようである。元より、この場にいる者はハンベエ以外はこの女人をモスカ夫人と思い切っているのであるが。ナーザレフはその雰囲気に気圧されて寒気を覚えたほどであった。

「ここから先の話は、ナーザレフよ。ちと二人だけでしたいのじゃが。そちはエレナの事を『汚れの乙女』と呼んでいるそうじゃな。その理由も詳しく知りたい。妾も彼奴からはずっと邪悪なものを感じておる。きっと話が合うであろう。」

 と一呼吸置いてイザベラはナーザレフに言った。ナーザレフはイザベラの提案に戸惑いを見せた。その時、

「モスカ様、それは。」

 壁に身をもたせ掛けていたハンベエが一歩前に出て不満そうな顔をした。

「案ずるな、ハンベエ。相手は神に仕える者じゃ、そなたの心配するような事は起こりはせぬ。」

 とイザベラはハンベエを振り返って言った。それから、

「済まぬな。ハンベエは見掛けに寄らずとんでもない焼き餅焼きでな。妾が他の男と親しくすると良い顔をせぬのじゃ。もっともそこが可愛いのじゃがな。ホホホホ。」

 とイザベラは口許を覆って驕慢な笑みを浮かべた。

 一瞬緊張を走らせたナーザレフであったが、このノロケを聞かされて侮りの嗤いが胸の内に起こっていた。

「では、人払いを。」

 とナーザレフが言うと、

「いや、それも皆に悪かろう。それに外で聴き耳を立てられるやも知れぬ。そうじゃな。表に馬車がある。あの中で、そちと二人で。」

「馬車の中で。」

「そうじゃ、密談には丁度良い。・・・・・・何じゃ、妾が怖いのか。心配せずとも妾も神に仕える者を誘惑したりはせぬ。ハンベエがおるしのう。」

 と妖艶な笑みを浮かべてイザベラは言った。

 ハンベエは面白く無さそうに横を向いていた。

 ナーザレフはタンニルとシンドルに留まるように手で制すると、先導を求めるように差し出されたイザベラの手を引いて館の出口に向かった。ハンベエは不承不承という風情で道を譲った。 ナーザレフはハンベエには明らかに恐怖を伴った警戒心を見せていたが、イザベラの事はモスカ夫人だと思い込みきっているので何の不安も懐く事無く他の者を残して館を出て行った。

「じゃあ、尾行されていたんだろう。昨日は夜だったが、今日は真っ昼間か。・・・・・・馬車の音を響かせて来るとは、こちらに気付かれても困らないと言う事か。何者だろう。一緒に来い。」

 とウルゴラーはタンニルとシンドルに言った。三人は館の扉から外に出た。

 館に続いている小道を三人が見ていると、森の林を抜けて一台の馬車がガラガラと車輪を響かせてやって来た。

 その馬車の御者はウルゴラー達に気付くと、馬車を止め、御者台から降りて馬車の戸を開いた。かなり背の高い御者であった。腰に大小二本の刀を刺し、額には鉢金、手脚には鉄製の腕貫、手甲脚絆、とまるで合戦に赴くような出で立ちだ。ウルゴラーは剣に手を掛けていた。

 御者は馬車から一人の女人を手を取って降ろした。ケバケバしい飾り帽子を被り、王宮貴婦人風のドレスを身に纏った女人は年増であったが、妖艶な美貌を持っていた。

「モ、モスカ。」

 その姿を一目見るなり、タンニルが驚きの声を挙げた。その風貌はタンニルが以前ボルマンスクのノーバーの仮住まいで見掛けたモスカ夫人そのものであった。

「無礼者、妾は身も知らぬ下郎風情に呼び捨てにされる者ではないぞ。」

 と女人はタンニルをきっと見据えて金切り声を出した。

「何者だ。」

 とウルゴラーは誰何した。剣に手を掛けているがまだ抜いてはいない。その目は女人よりも御者に向けて警戒の光を放っている。

「妾はモスキィーウインスキー。この国の国母じゃ。控えおろう、下郎共。」

 女人は権高な口調で決め付け、それから続けて言った。

「この男はハンベエと言う。エレナの下で軍の総司令官をしている。我等はナーザレフに用が有って参った。居るのであろう、ナーザレフは。呼んで参れ。」

 女人の言葉にタンニルはウルゴラーの方を向き、

「兎も角、ナーザレフ様に伺って来る。手出しは控えてくれ。」

 と言って急いで館に戻った。

 御者と女人はハンベエとイザベラであった。イザベラは今は亡きモスカに化けているのである。

 ウルゴラーはイザベラにも警戒の眼を緩めていないようだが、幸いにして何か感付いている雰囲気は無い。 館の中に戻ったタンニルは急ぎ足で地下室へと赴いた。地下室に降りたタンニルは異臭に思わず顔を顰めたが、すぐにナーザレフの姿を見つけ出して声を掛けた。

「ナーザレフ様、モスカ夫人が現れました。」

 些か間抜けな口調になっている。

「・・・・・・。」

 ナーザレフはタンニルを振り返ったが、タンニルの言った言葉の意味が理解できなかったものか、怪訝な顔をしている。

「あの、モスカ夫人が館の表にやって来て、ナーザレフ様に会わせろと。」

 訝しがるナーザレフの目付きに少しへどもどしながら、タンニルは繰り返した。

「モスカ夫人が。・・・・・・一人でか。」

 とナーザレフは首を捻りながらタンニルに問うた。

「そ、それが、屈強そうな若い男が一緒で、モスカの言う事にはその男は王女軍総司令官のハンベエだと。」

 どうやらタンニルはハンベエの姿形を知らなかったらしい。ハンベエと聞いてナーザレフの表情に動揺が走った。

(ハンベエとモスカ夫人が・・・・・・。待て待て、これまでの情報ではハンベエとモスカは裏で手を組んでいるという事であった。王女エレナはモスカにとって憎い仇敵のはず。その二人が二人だけで私を訪ねて来たとすると・・・・・・。別に私を殺そうと言うわけでは無さそうだ。モスカは最終的には王女を殺す腹づもりのはず・・・・・・とすると・・・・・・。)

 ナーザレフは少し考えて、俄に小狡い笑みを浮かべ、

「分かった。会おう。」

 と答えて、タンニルに歩み寄った。

 ソンレーロは二人の会話に別段の興味も示さず鍋を混ぜる作業に没頭している。ナーザレフと誰がやり取りしようと関心がないようだ。

ハンベエは陽気に声を張り上げて呼び掛けた。ボーンは剣を杖代わりに両手を乗せて西岸に立つハンベエとその背後にびっしりと並ぶ弓部隊の威容を見ていたが、「そいつは親切な申し出で涙が出るぜ。人数多いからって余裕こいてると、足下掬っちまうぜ。精々気を付けな。」と言い返した。「おい、あいつがボーンって奴か。」 ハンベエの側にヒューゴがやって来て尋ねた。「ああ、そうだ。」 ハンベエは何が楽しいのかニンマリ笑って答えた ヒューゴは腕組みをし、何度も首を捻りながら対岸のボーンを見ている。「別に似たところは無いように思うぜ。」とヒューゴはハンベエに言った。ロキやハンベエにお前によく似た奴だと言われたのが未だに引っかかっているらしい。「あっ、ボーンさんだあ。おおおい、ボーンさあああん。」ロキが聞きつけてこれ又ハンベエの傍までやって来ていた。対岸のボーンに大声で呼び掛ける。(げっ、ロキ。勘弁してくれ。やりにくいったらありゃあいねえ。 ボーンは昨日に勝る苦虫を噛み潰してスゴスゴと奥に引っ込んで行った。 ハンベエはロキを見詰めながら胸中複雑であった。ベッツギ川での水攻めによる大量虐殺はボーンにより未然に防がれたが、クロノ原ではロキによる落とし穴で太子軍の鉄甲騎兵連隊が全滅している。負傷兵として最終的に王女軍に収容された者もいたが、半数近くは鎧の重みによる骨折で致命の状態となり、そのまま絶命するか武士の情けを受けなければならなかった。今無邪気にボーンに呼び掛けているロキであるが、自分がクロノ原で為た事をどう感じているのだろう。(俺と関わったせいだ。)ハンベエは愁いを帯びた眼をロキに向けた。「あああ、ボーンさん、引っ込んじゃったよお。つれないなあ。」ハンベエの心痛も知らずにぼやいていた。「ハンベエ、どうかした? オイラの顔見て考え込んでるけどお。」勘の鋭い少年だ。ハンベエから何かを感じ取ってしまったようだ。「いや、この戦の幕引きをどうしようかなと。ロキの活躍もあって、クロノ原で敵を粉砕できた。後はボルマンスクまで一直線に追って行けば敵は散り散りになるはずだ。王女の身の安全が確保されたら、俺もお役御免だ。」「お役御免? ハンベエはゴロデリア王国の武人として過ごすんじゃないのお?」「それだと王女の家来になるって事だろ。ちょっとなあ。」言うと、ハンベエは空を見上げた。王女様を助けるのは当然だけどお。オイラの敵の事も忘れないでねえ。」「ナーザレフ一派の事か。」「そうだよお。アイツらだけはオイラは許さない。と言うか、子供を売り買いする奴はオイラの終生の敵だよお。ハンベエは当然オイラに味方してくれるよねえ。」 少年は決然と言った。揺るがぬ信念のようなものが有るようだ。「ああ、俺は何が有ってもロキの味方だ。」ハンベエは一生懸命頼もしそうな笑みを浮かべてロキに肯いた。 その夕方、ハンベエはイシキンを呼び出して頼み事をした。クロノ原の落とし穴作業でロキの補助をしていたイシキンは、王女軍の分割編成の際にロキの補助のままエレナの軍に編入されていたのであった。「では、ゲッソリナへ行ってそのスラープチンと言う坊主を総司令官の所へ連れて来れば良いのですか。」「そうだ。これも一つの戦だ。頼むぜ、イシキン。」「承知しました。」イシキンは一礼してゲッソリナに取って返した。「ハンベエ、スラープチンって、ゲッソリナで問答したお坊さんだろう。それを呼んでどうするつもりなのお。 二人のやり取りを横で聞いていたロキが尋ねた。「お前はあの坊主をどう見た?」「どうって・・・・・・。良く分からないや。」「ナーザレフと比べてどうだ?」「ええ? でもナーザレフの仲間なんだろお。あんまし、信用できないよお。」「そうか。しかし、あの坊主には問いを出して置いた。どういう答えを出したかによって使い道が決まる。」 答えるハンベエの横顔は、この若者には似合わない哲学的な風貌を帯びている。「使い道? あの坊さんに何か頼むの?」「頼むと言うか。押し付けると言うか。導いてやるというか。言い様は人によるな。」「何か、ハンベエらしく無いなあ。自分の欲の為に子供を取引するような連中は問答無用でやっつけてくれるのかと思っていた。」

ハンベエは陽気に声を張り上げて呼び掛けた。ボーンは剣を杖代わりに両手を乗せて西岸に立つハンベエとその背後にびっしりと並ぶ弓部隊の威容を見ていたが、「そいつは親切な申し出で涙が出るぜ。人数多いからって余裕こいてると、足下掬っちまうぜ。精々気を付けな。」と言い返した。「おい、あいつがボーンって奴か。」 ハンベエの側にヒューゴがやって来て尋ねた。「ああ、そうだ。」 ハンベエは何が楽しいのかニンマリ笑って答えた ヒューゴは腕組みをし、何度も首を捻りながら対岸のボーンを見ている。「別に似たところは無いように思うぜ。」とヒューゴはハンベエに言った。ロキやハンベエにお前によく似た奴だと言われたのが未だに引っかかっているらしい。「あっ、ボーンさんだあ。おおおい、ボーンさあああん。」ロキが聞きつけてこれ又ハンベエの傍までやって来ていた。対岸のボーンに大声で呼び掛ける。(げっ、ロキ。勘弁してくれ。やりにくいったらありゃあいねえ。 ボーンは昨日に勝る苦虫を噛み潰してスゴスゴと奥に引っ込んで行った。 ハンベエはロキを見詰めながら胸中複雑であった。ベッツギ川での水攻めによる大量虐殺はボーンにより未然に防がれたが、クロノ原ではロキによる落とし穴で太子軍の鉄甲騎兵連隊が全滅している。負傷兵として最終的に王女軍に収容された者もいたが、半数近くは鎧の重みによる骨折で致命の状態となり、そのまま絶命するか武士の情けを受けなければならなかった。今無邪気にボーンに呼び掛けているロキであるが、自分がクロノ原で為た事をどう感じているのだろう。(俺と関わったせいだ。)ハンベエは愁いを帯びた眼をロキに向けた。「あああ、ボーンさん、引っ込んじゃったよお。つれないなあ。」ハンベエの心痛も知らずにぼやいていた。「ハンベエ、どうかした? オイラの顔見て考え込んでるけどお。」勘の鋭い少年だ。ハンベエから何かを感じ取ってしまったようだ。「いや、この戦の幕引きをどうしようかなと。ロキの活躍もあって、クロノ原で敵を粉砕できた。後はボルマンスクまで一直線に追って行けば敵は散り散りになるはずだ。王女の身の安全が確保されたら、俺もお役御免だ。」「お役御免? ハンベエはゴロデリア王国の武人として過ごすんじゃないのお?」「それだと王女の家来になるって事だろ。ちょっとなあ。」言うと、ハンベエは空を見上げた。王女様を助けるのは当然だけどお。オイラの敵の事も忘れないでねえ。」「ナーザレフ一派の事か。」「そうだよお。アイツらだけはオイラは許さない。と言うか、子供を売り買いする奴はオイラの終生の敵だよお。ハンベエは当然オイラに味方してくれるよねえ。」 少年は決然と言った。揺るがぬ信念のようなものが有るようだ。「ああ、俺は何が有ってもロキの味方だ。」ハンベエは一生懸命頼もしそうな笑みを浮かべてロキに肯いた。 その夕方、ハンベエはイシキンを呼び出して頼み事をした。クロノ原の落とし穴作業でロキの補助をしていたイシキンは、王女軍の分割編成の際にロキの補助のままエレナの軍に編入されていたのであった。「では、ゲッソリナへ行ってそのスラープチンと言う坊主を総司令官の所へ連れて来れば良いのですか。」「そうだ。これも一つの戦だ。頼むぜ、イシキン。」「承知しました。」イシキンは一礼してゲッソリナに取って返した。「ハンベエ、スラープチンって、ゲッソリナで問答したお坊さんだろう。それを呼んでどうするつもりなのお。 二人のやり取りを横で聞いていたロキが尋ねた。「お前はあの坊主をどう見た?」「どうって・・・・・・。良く分からないや。」「ナーザレフと比べてどうだ?」「ええ? でもナーザレフの仲間なんだろお。あんまし、信用できないよお。」「そうか。しかし、あの坊主には問いを出して置いた。どういう答えを出したかによって使い道が決まる。」 答えるハンベエの横顔は、この若者には似合わない哲学的な風貌を帯びている。「使い道? あの坊さんに何か頼むの?」「頼むと言うか。押し付けると言うか。導いてやるというか。言い様は人によるな。」「何か、ハンベエらしく無いなあ。自分の欲の為に子供を取引するような連中は問答無用でやっつけてくれるのかと思っていた。」

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